株式会社に関する商法の規定の抜本的な見直しが検討されている。具体的には株主総会や取締役、監査役といった企業統治(コーポレートガバナンス)の在り方の見直しなどが柱だ。法務省では2年後をめどに法改正を目指すという。また経済同友会の企業経営委員会でも昨年来この問題についての検討が続いており年末には提言にまとめられる予定だ。あたかもよし。企業経営の目的は何か、企業経営はどうガバナンスされるべきか。この古くて新しい問題を取り上げてみたい。
最近の経営理論によれば企業は株主の利益のために存在するという。だから株主の立場からの企業経営者へのガバナンスを強化するべきでこれがグローバルスタンダードだとのことだ。確かに明快きわまりない。この数年の米国企業の力強い活躍ぶりと日本企業の低迷ぶりを見せつけられていると、この主張には説得力があり、簡単には反論しがたい雰囲気がある。けれども大多数の日本の経営者、従業員は、理屈はともかく、この理論には何かついてゆけないもの(違和感)を感じているのではないか。この違和感はどこから来るのか。
例えば「企業の目的は株主価値の最大化である。仕入先、従業員などのステークホルダーズへの報酬はあくまでも市場原理にもとづく利害調整にすぎず、これは経営目的とはならない」という。でもそもそも日本社会において企業とステークホルダーズの間に「市場」が存在するのだろうか。原材料とか所要資金とかの財・サービスには市場が存在するとしても労働力については市場はきわめて不完全である。転職は簡単ではない。また日本の労働者、従業員の勤労目的がどこかの国のように100 %経済的報酬の獲得だけにあるとも考えにくい。「意気に感じて働く」というタイプの従業員がまだまだ多いのである。
環境などの外部不経済については市場自体存在しない。日本ではステークホルダーズとの利害調整に市場原理が働かない(もしくはきわめて働きにくい)のである。前提が違う。よってこれらのステークホルダーズとの利害調整については経営者が個別に対処して行かねばならない。経営目的のひとつとならざるをえない。
経営者に対するガバナンスの強化についてもそうだ。グローバルスタンダード論者は独断専行に走る経営者を排除するためにガバナンスの強化が必要という。でも最近の日本経済の低迷を考えると、この状態からの脱出に必要なものはむしろもっと強力な経営者のリーダーシップではないのか。ガバナンス、ガバナンスといって「カバナンスを効かせたがその結果会社がつぶれてしまった」では笑い話にもならないのである。
企業は社会を構成するひとつの組織である。企業の所属する社会の特性に応じて企業の形態も異なってくる。さもなければ競争力を失う。日本社会はゆっくり変化しており、今はざかい期にある。その日本の現状にあわせ選択制の採用など現実性のある企業統治の在り方が議論されるべきだろう。
(橋本尚幸)